ゴリラにとって、死はやすらかなもの?

前回、ココの「カーテン (Drapes)」「眠る (Sleep)」「心地よい (Comfortable)」という言葉から、ゴリラは死をやすらかなものととらえているようだというお話を書きました。

しかし一方で、ココは身近な人物や動物の死については、強い悲しみを覚えています。子猫のボールをはじめ、それ以前に飼っていた金魚、おたまじゃくし、ヒキガエルが死んだときも、ココは悲しんだそうです。それどころか、実際の死に限らず、死んでしまうかもしれないと考えることすらいやなようです。

例えば、助手のモーリンさんが「ペニー (パターソン博士) は死ぬと思う?」とココに聞いたところ、10秒間も落ち着かずにそわそわして、「ちくしょう! (Damn!)」と手話をしました。(Lakeland Ledger - Dec 10, 1981 より)

また、あるときパターソン博士が他のスタッフと仕事の話をしていて、「ロサンゼルスに毎月行っていると死んでしまうわ」とその大変さをこぼしました。英会話を聞いて理解できるココは、それを聞くと、取り乱して「顔をしかめる (Frown)」という手話を繰り返しました。パターソン博士が「自分は死ぬようなことはしない」と説明するまで、ココは落ち着かなかったそうです。(Listening to Koko - A gorilla who speaks her mind より)

それでもゴリラにとって、死はやすらかなものなのでしょうか。必ずしも言われているように、ゴリラは (少なくともココは) 死をやすらかなものと達観しているわけではないように思います。むしろこれは、人と同じようにゴリラも持っている、高い共感能力からきた答えだと考えています。

私たちの多くは、死をいまわしいものだと考えています。自分に限らず、身近な人物や動物まで、できることなら死んで欲しくはないですし、死ぬことを考えたくもありません。ですがひとたび死んでしまったとするならば、その死がやすらかなものであることを願わずにはいられません。年をとって、病気で、事故で、さまざまな理由で死を迎えても、苦しまずに眠るように死んでいけたのならば、せめてもの慰めになります。苦しんだとしたらなおのこと、死後はやすらかに眠り続けるようであって欲しいと願います。

そんな私たちも、ゴリラに「人は死ぬときどう思うの?死んだらどうなるの?」と聞かれて、「苦しいよ。ずっとずっと苦しむよ」とは答えないのではないでしょうか。やはりココのような、「眠りにつく。永遠のやすらかな眠りだ」といった答えになると思います。

これを死者への共感と言っていいのか分かりませんが…少なくとも自分がその立場になったらどうか、という思いやりの気持ちから発しているのは間違いないと思います。そして、ゴリラたちも同様に高い共感能力を持っているというお話も、後日書く予定です。

ということで、ゴリラたちにとっても、死はやすらかなものではないと思います。「カーテン (Drapes)」「眠る (Sleep)」「心地よい (Comfortable)」という言葉は、決してゴリラたちの深い死生観から来ているのではなく、死にゆく者を思うときの、率直で素朴な気持ちなのではないでしょうか。
カテゴリ: ゴリラの死生観
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