ココのゴリラ・ギャグ

相方のバーバラの不手際もあり、いまひとつブレイクしなかったココのジョークですが、そもそもWikipediaのユーモアの項目によると、
…越境性に乏しく、異なる言語のユーモアは理解しにくく、「翻訳が困難である」と考える学者もいる。
のだそうです。ただでさえゴリラという種族の壁があるのに、手話を翻訳しているわけですから、越境性という意味では最悪ですね。

そこで、身振り手振りで行うギャグです。無声映画の喜劇王チャップリンは人種と言葉の壁を越えて、今でも私たちに笑いをもたらしてくれます。このフィールドでなら、ココも戦えるはずです。それでは、ココのギャグを見てみましょう!

カメラに向かって「笑って」とお願いされると同時に、悲しそうなしかめっ面をした。
これはお約束ですね!やったことのある人は、ゴリラ並みのセンスってことですよ?

ココが作った「聴診器」という手話を、カメラに向かってやってみてとお願いされると、耳ではなく目におこなった (KokoPIX Photo Blog の写真)
ゴリラもカメラを向けられると、意外と意識するのです。そして、きちんとサービス精神を発揮します!

チンパンジーの人形に授乳してとお願いされると、乳首を人形の目に当てて「目」と手話をした。
…うむむ。これはいまいちですね…。バーバラのアシストを期待したいところです…!

でもこれって、単に指示されたことを理解していなかったり、間違えてしまっただけなのでは?…とも思えますが、パターソン博士いわく「懐疑的な人はこれを単なる間違いだと見るだろう。しかし『聴診器』のようにゴリラたち自身が作り出した手話については、それは考えにくい」のだそうです。

だとすると、ひねくれた子供の悪ふざけみたいですね。

パターソン博士は、ココが時折行うこれらの天邪鬼な行動について語っています。
…この種のユーモアは、ゴリラの強情っぱりな気質から生まれてくる、ココの心的世界の表出なのである。ユーモアは、ココが自分の独立心を表現したり、退屈な教科の日課を活気づけるために、みずから取りいれた行動様式の一部分なのである。
F・パターソン E・リンデン著 都守淳夫訳「ココ、お話しよう」より

ココの独立心の表現というのは、ただの実験動物ではない、言いなりにはならない、という反抗心なのかもしれません。ただし、これは実験という意味では大きな問題になります。前述のエピソードは、実験上ではココは指示を正しく理解していない、という結果になってしまいます。このことは、のちのち、類人猿の言語の習得能力の有無について、大きな疑問を投げかけることになってしまいました。

出典:
The Case for the Personhood of Gorillas


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