ゴリラのココは本当に手話で会話ができるのか - その8 言語学者「お前ら論外だ」

ココの会話能力を否定したテラスにカウンターパンチを浴びせたのがパターソンなら、彼女をダウンさせたのは新たな参戦者トーマス・シービオク (Thomas A. Sebeok) です。マッチメイクしたのは懐疑論者マーティン・ガードナー (Martin Gardner)。ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌を舞台に繰り広げられました。

ガードナーという名前が何人も出てきますが、もちろん手話チンパンジーのワショーを育てたガードナー夫妻とは別人です。ややこしいので、今後はマーティンと呼びます。マーティンは、シービオクが類人猿への言語教育を批判する本の書評を寄稿したのでした。

シービオクは言語学者です…また文法がどうたらの話か?と思いきや、彼は言語学とは全く関係のない分野からパターソンと他の研究者たちを批判しました。そもそもサルが話す話さない以前の問題で、彼女たちがサルを相手にやっていることそれ自体がおかしいと言います。

話す類人猿たちは、見知らぬ人たち相手に上手に話すことはめったにない。信者達はこれを、いつも一緒の先生たちとの感情的なつながりで説明する。

マーチンの書評からです。「感情的なつながり」…まさに前回お話した、類人猿たちが言葉を話せるようになる上で、パターソンたちがもっとも重要だと考えていたことです。

…しかし、これは長年に渡って類人猿たちが、愛する特別な人間のする無意識の反応への特別な感受性を発達させていったからだ、と仮定すれば容易に説明がつく。そして、新たな他の誰かが話そうとすると、当然のごとく知覚に失敗することについても説明がつく。

あんたらは「心をかよわせて」いたんじゃなくて「合図をかよわせて」いただけだよ。大好きな飼い主のために、サルたちは一生懸命それを読み取っていただけだ、というわけです。そして、あんたらも大好きなサルたちのために一生懸命読み取ろうとしていたんだ、と続きます。

数年間の教育課程の中で、類人猿はでたらめに何千もの手話を組み合わせるだろう。しばしばうれしい組み合わせ、即座にクレバー・ハンス的な応答を引き出せるような組み合わせにならない方が驚きだ。教師たちは意味のない組み合わせをいちいち記録するなんてことはしないが、すべてのラッキー・ヒット (幸運な当たり) は間違いなく是認の合図で強化され、教師たちの記録、報告、本、指導に載せられるのだ。

研究者たちはサルたちのでたらめな手話を気にしないけど、そのうち何か意味ありげな手話になると、「ん?」と注目してそれが意味のある手話だという合図を出してしまい、サルたちは「お、合ってるな?」とさとってその組み合わせを連発し、「おおー!話した!」と思った研究者たちがみんなに吹聴するわけですね。

そして例え手話を間違ったとしても、無敵理論が発動します。

類人猿たちが手話を記憶していても、しばしば再現するのを間違えることもある。これがおこっても、シービオクは指摘しているが、類人猿たちの教師は一連の言い訳を持っている。間違いの代わりに、それはジョークや嘘や侮辱になってしまう。

それはもしや…ジョークも嘘も侮辱も言う、ゴリラのココのことでしょうか!?シービオクは名指しで批判します。

パターソンは特にこの種の主観的な評価への傾向がある。彼女はココに飲むと手話をしろと言う。ココは耳をさわる。ココはジョークを言っているのだ。彼女はおもちゃをかばんの下に置けと言う。ココは天井にかかげる。ココは意地悪しているのだ。彼女はココに甘いと韻を踏めと言う。ココは甘いと似たジェスチャーの赤と手話する。ココはジェスチャーでしゃれを言っているのだ。彼女はココに笑えと言う。ココは顔をしかめる。ココは「反対の理解」を見せているのだ。ペニーはココの写真を指して聞く。「ゴリラ 誰?」ココは「鳥」と手話する。ココは「やんちゃ」なのだ。

…なんというか、このブログも全否定です!ちなみに、過去記事「ココのゴリラ・ギャグ」のラストは、ここに続いています。

というわけで、パターソンは無意味な手話群から「彼女にとって意味がある」ものを選別しているが「ココにとって意味のあるものではない」と指摘し、「客観的な評価」が必要だと言っています。

…さもなくば、われわれが得るものは逸話のよせあつめ以外のなにものでもない。

あ、はい。ゴリラ語録とかとんでもないですよね。


この記事へのコメント
  1. お名前: ななしのゴリラさん 投稿日:2015年12月08日 10:01
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