ゴリラのココは本当に手話で会話ができるのか - その9 実験者効果にどっぷり

パターソンは激おこです。すぐさまニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌に反論を寄稿しました。

文脈外から例を引用しそれを実験に基づく文書の裏づけから引きはがす。シービオクとマーチンは、最も古くからある新聞雑誌記者的な虚偽の方式のひとつで有罪だ。

…あ、はい。私も有罪かもしれません。

だからって言うわけではないのですが、パターソンのカウンターパンチは空を切り、博学者シービオクにより一蹴されました。

ラッキー・ヒットばかりを集めている、間違いはジョークだなどの言い訳を用意している、などなどさまざまな批判に対しての反論を行っていますが、一番の根幹に関わる争点、「実験者効果を排除できているのか」についてご紹介します。

シービオクの主張に反して鏡面サングラスをかけることで、瞳孔の大きさ、見つめる方向などの合図を制御することは簡単だ。私たちは、これと他のさまざまな制御を用いている。結果は、ゴリラたちの自発的で適切な手話を妨害されることはなかった。

実際の観察とビデオテープの再調査は、対象物とそれ以外の物の選択が要求されるテストの状況下で、ほとんど例外なくゴリラたちは、私たちの顔を合図をさがして見ているのではなく下を向いて物を見ている。

私たちが間違った選択の位置を動かしたり、触ったり、よりかかったり、見つめたりして故意に偽の合図を出しても、ゴリラたちは質問に答える。合図に対してではない

私たちは、特定の状況と可能性のある合図を、故意にゴリラたちを誤解させるために作り直した。いつもの「あなたの耳はどこ?」などと聞く代わりに、実験者は彼女の鼻を指し、ゴリラの鼻を見ながら「これはあなたの耳?」と聞いた。最近のテストでは、ゴリラのマイケルはそれぞれの場合に合図に従うことではなく、質問者を正すことで答えた。

前回からの続きで読まれている方は、疑問に思ったかもしれません。合図って簡単に隠せるものじゃないよね?故意に間違った合図を出してるって言っても、質問者は正しい答えを知ってるよね?そもそも無意識にやってしまうことが問題なのだから、隠そうとしても無理だし故意にはやれないんじゃないの?

シービオクは反論への反論の手紙で、まさにその点を指摘しています。

私たちはここで、「ダブル・ブラインド」テストと呼ばれる訓戒の手法について、詳細な評論を繰り返すことはできない。パターソンがいじらしいまでの信頼を置いているらしい魔法の装置は、私たちと数多くの人々が証明してみせたように、あまりにしばしば恥ずかしくなるほど不適切だ。

そして例として、パターソンがダブル・ブラインド テストに使った小さな箱を挙げ、ゴリラや人が動かせるような小さな箱では実験者とゴリラの両方が答えを推測しようとする行動を制御できるはずがないと言います。

すべての可能性を排除するのがダブル・ブラインド テストの目的です。こんな大きな箱は人もゴリラも動かすことはできないだろう。ましてや上や横からのぞき見ることは不可能だ。これは、もはやゴリラが言葉を理解しているとしか考えられない、と人々に確認させるのがテストの目的です。いや、ココも実験者も動かしてなかったよ?のぞいてなかったよ?と主張するのは、すでに実験者効果にどっぷりはまっていると言えます。



というわけで本題は以上なのですが、シービオクの罵倒の仕方があまりにも文学的だったので、ついでにご紹介します。先に「欺瞞で有罪だ」「無知を暴露してる」とかって煽ったのはパターソンなので、シービオクは言い返しているだけですけど。全編こんな感じで、豊富なボキャブラリーの中から適切な言葉を使って心をえぐるようなことを言っています。言語学者って怖いですね!けんかしないようにしましょう!

パターソンの方法論的な知的素養の欠如は、彼女のそれに隣接した研究分野の基本的な理論の進歩への無知にあるということは、的確に突きとめられる。

彼女の教師を兼ねる心理学者たち (fellow psychologists) は、(訳注: 以下の3つを) 審理しなければならない。

彼女がどれほどの自己欺瞞の犠牲者なのか。

なぜ、何人かのさらに傑出した「ピンポン愛好家たち (pongists、転じて、行ったり来たりを繰り返す人)」がおおやけにこの系統の研究を断念しているのに、彼女は固執するのか。

なぜ、経験上の見解の重さと確率の法則に立ち向かいながら、類人猿たちが言語みたいな演技ができるというウィル・オ・ウィスプ (訳注: きつね火、転じて、到達できない目標) を追いかけ捕まえようとするのか。

クレバー・ハンス現象の千年の歴史に無知な者たちは、それを果てしなく再現するという破滅の運命にある。ある動物から別の動物へ、それが鳥、馬、ネズミイルカ、大型類人猿、また最近では驚異のミルウォーキーの亀、なんであろうが具現化してしまう。

パターソンも腹に据えかねたのか、自著で名指しで批判しています。

…さらに、こうした批判者たちの目には、その観察者たちも、みずから課した二重盲目テストの装置の遮蔽版の中に座り込んで (シビオックは、こうした対策をしてもまだ、観察者は被験動物に回答のための手がかりを与えている可能性があるという)、動物が何にたいして反応しているかも知らず、黙って行動を記録している存在にしか映らないのである。

長くなって申し訳なかったのですが、このシリーズもいよいよ次で終わりです!みなさんおつかれさまでした!
参照:
Gorilla Talk - The New York Review of Books
More on Monkey Talk - The New York Review of Books
F・パターソン E・リンデン著 都守淳夫訳「ココ、お話しよう」


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