世界初の手話で会話するチンパンジー、ワショー - その3

ワショーは1970年10月、育ての親ガードナー夫妻の元を離れ、ガードナーの教え子ロジャー・ファウツ (Roger Fouts) に連れられてオクラホマ大学の霊長類研究所 (Institute for Primate Studies, IPS) で暮らすことになりました。

そこには18匹の手話を知らないチンパンジーたちが暮らしていました。以前にもお話したとおり、ワショーは初めて他のチンパンジーを見たときには自分が人間の子供じゃなかったことにショックを受け、アイデンティティーの危機を経験したそうですが、この頃には他のチンパンジーとも仲良くできたようです。そして、ワショーは彼らに手話で話しかけていたそうです。

例えば、落ち込んでいる若いチンパンジーには、「おいで 抱きしめるよ (COME HUG)」と手話して慰めていました。また、みんなに果物が与えられるときには、他の競争相手のチンパンジーたちに向かって、遠くの水道の蛇口を指差し「飲みに行け (GO DRINK)」と手話していたそうです。いい子なんだか悪い子なんだか分かりません。

そうこうするうちに、彼らの中からワショーの手話を覚えて使うものも現れました。マニー (Manny) というチンパンジーは、ワショーから「おいで 抱きしめるよ」を覚え、あいさつのときや他のチンパンジーを慰めるときに使うようになったそうです。

そして、他のチンパンジーたちも研究員たちから手話を習うようになり、ワショーも彼らと手話で会話するようになりました。サポルスキーの揶揄したブーイー (Booee)や、ニムの兄弟でテラスに批判されたアリー (Ally) もこのときに手話を覚えたチンパンジーです。

ワショーはここで、他のチンパンジーたちに手話を教えるだけでなく、彼らから学んだり新しい手話を作り出したりもしました。

例えばワショーに手話を教えたガードナー夫妻は「毛布 (BLANKET)」という手話を知らなかったので、代わりに「覆う (COVER)」を使っていましたが、他のチンパンジーが使う手話を見て「毛布」の手話を使うようになりました。

同様に、「リンゴ (APPLE)」はワショーにとって果物全般を指す言葉でしたが、他のチンパンジーが使うのを見てリンゴだけを指すようになりました。

また、前回にも出てきた「人 (PERSON)」という手話。給仕係にエサをもらう際、自分に気づいてもらうために彼の名前を手話しても、見ていないと気づかれないので、手を叩いて音で注意を引くようになりました。しばらくはこの給仕係を指す手話になりましたが、のちに人全般を指す手話になったそうです。

ワショーはここで、ルーリス (Loulis) という幼いチンパンジーも養子にしましたが、研究は例の一連の騒動の余波で資金難となり、1980年、またまたセントラル・ワシントン大学 (Central Washington University) の Chimpanzee and Human Communication Institute (CHCI) に移動することとなりました。一緒についてこれたのはわずかにルーリスとモジャ (Moja)、タトゥ (Tatu)、ダル (Dar) の4匹。残りは散りぢりとなりました。

しかし結局、ワショーとモジャ、ダルは、かろうじて CHCI で息を引き取ったものの、昨年8月にルーリスとタトゥも保護区送りとなってしまいました。ワショーを祖とする手話チンパンジーの系統は、ここに断絶となりました。

ワショーは2007年10月30日に、42歳で病気のあとに死亡しました。死の間際は、家族同然の仲間と人間の友達に囲まれていたそうです。

「彼女は具合が悪かった。私は飲み物をあげに彼女に近づいた」とファウツは言った。「彼女は頭を持ち上げ、ホーホーという鳴き声 (チンパンジーが出すおだやかな声) で私にあいさつをした。彼女はいつも礼儀正しく、ほがらかな人だった
The Seattle Times より

ワショーに先立つ1995年、育ての親ベアトリクス・ガードナーが亡くなっていました。ワショーが知っていたかは不明ですが、あの世での再会の喜びを手話で語ったことでしょう。

ワショーの住んでいたワシントン州エレンズバーグ市は、ワショーの死後に「共同体の娘」の称号を授けました。


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