ハーバート・テラスという人 (3/5) - 冷酷なドリトル先生なのか

私たちは、彼 (ニム) を本来の生き方から引き離してしまったことで、とんでもなく害してしまった…間違っていた、間違って…。』

とは最初の養母ステファニーが、映画「プロジェクト・ニム」の最後で涙ながらに語った反省の言葉。それに対してテラスは、一切涙を見せることなく淡々と反省を語っている言葉が観衆の怒りをかきたてています。

『このプロジェクトの主要な欠陥は、出口戦略 (撤退戦略) を持たなかったことだ。』

ニムが荒れ果て、人を傷つけるようになったときにどうしていいか分からなくなったのだと言っているのです。たしかに冷淡に見えますが、この話、冷静に考えてみるとこうです。

ステファニーはとんでもなく思い出を美化しているようですが、ニムにお酒を飲ませて麻薬を吸わせて、お年頃になったら自分の体を見せて触らせてマスターベーションさせようだなんて、人間の子供はおろか犬猫などのペットにすらしないことです。彼女はニムをおもちゃにしていただけです。この時期の記録もつけられなかったわけですね!

それに困ったテラスは、大学院生だったローラ・アン・ペティットを呼び出して実験の軌道を修正したのです。つまり、ニムをおもちゃにすることをやめさせたわけです。

ニムの幼い頃の思い出を語るときはにこやかに、その後の人生を語るときは涙ながらの姿を見せるステファニーですが、幼いニムを害したのは彼女ですし、養母を代わる原因を作ったのも彼女ですし、「私たちは」とか「本来の生き方から引き離した」とか言っているところからすると、自分が何をやったのかいまだに分かってすらおらず、その涙は反省の姿と言っていいのか分かりません。

ニムの辛い人生に言及せず淡々とプロジェクトの失敗を語るテラスは冷血漢のように映るのかもしれませんが…反省という意味では「どうしていいか分からなくなった」と自分の問題を冷静に考えていると言えます。

そもそもニムを母親から引き裂いてテラスに売ったのは霊長類研究所です。そこでは日常的に行われていたことで、ニムの母親は気の毒に赤ちゃんが生まれると必死で人の目から隠そうとするようにまでなっていました。また、帰ってきたニムを今度は薬剤実験の研究所に売り飛ばしたのも、資金難になった霊長類研究所です。

そこでニムを縛りつけながら薬剤注射を繰り返したのは薬剤実験の研究員たちです。他のチンパンジーたちがニムの手話を真似しだして研究員たちに手話を始めたのが「精神的に苦しめられる瞬間」だと言いますが、ニム以前のチンパンジーたちの悲鳴はどう聞こえていたのでしょうか。

テラスにニムの人生を狂わせた責任を取れと言うのであれば、薬剤研究所の他のチンパンジーたちの人生の責任は注射を繰り返した研究員たちが取るべきなのでしょうか。それともお金のために彼らを売り飛ばした霊長類研究所でしょうか。ニムの辛い人生は、彼をおもちゃにしたステファニーと、動物実験というシステムの悲惨さに帰せられるもので、テラスに全部おっかぶせて済む問題ではありません。

そんな数々の偽善と自己欺瞞を排した上で、テラスのやったことに注目してみると、実験の軌道を修正してニムに手話を教えたあと、ニムの20,000もの発言を記録したのです。研究チームもニムが本当に話している証拠だと大喜びしましたが、詳しい分析をすると「false positive」── 正しいように見えても間違っていたことを発見したのです。

Nim_Chimpsky_Me_Hug_Cat.jpg
Science, 23 Nov. 1979, Vol.206, No.4421, Can an Ape Create a Sentence? より。「私 猫 だっこ」と手話するニム・チンプスキーです。ニムのうれしそうな表情と猫の迷惑そうな顔、そして話し相手の女性の手に注目ですよ!

テラスは、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌において、映画の内容を元にテラスを批判した哲学者ピーター・シンガー (Peter Singer) に対し、こう反論しています。

『マーシュ (プロジェクト・ニムの映画監督) の隠された意図は、ヒーローのニム、そして悪役の私がいることで、よりよく売れる映画を作ることだった。

霊長類学の専門家ではないシンガーもまた、私がマーシュに提供したデータや写真を、マーシュの観点から意図的に選んだのだということを認識していない。』

そして、テラスが実際にニムについてどう思っていたかを語ります。

『ニムは、彼とともに働いた全ての人々の心に触れる、賢くて人をひきつけるチンパンジーだった。私たちは全員、彼が学んでいることを望んでいた。』

余談ですが、大学院生時代にこの実験に関わったロバート・サポルスキーも、ニムの思い出を語って同じことを言っています (※1)

テラスは自分の教え子に手を出していたそうなので女癖が悪いのは事実でしょうが、冷酷なのかどうかは、少なくとも映画「プロジェクト・ニム」からは分からないと思います。でも、せっかく読んでいただいたのにこんなこと言うのも気がひけますが、実際に会ったことすらない私の言うことの方がもっとあてにはならないんですけどね!

※1 念のためですが、別の記事でサポルスキーがテラスを冷血漢と呼んでいるのは、パターソン側の主張を紹介してのことです。


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