チンパンジーから言葉を学んだチンパンジー・ルーリス (3/3)

ルーリスとワショーのエピソードだけを見ていると心温まるお話ですが、そのほかにも目を向けてみると、当時の世相として仕方ないと言えば仕方ないのですが、彼らの実験動物としてのつらい人生も見えてきます。

ルーリスは実のお母さんから引き離されましたが、そのお母さんは「侵襲的生体医学研究」に使われたそうです。「侵襲的」とは「外科手術、感染、中毒など」なんだそうで、健康や命に関わる実験に使われたのでしょう。

1980年9月には、ルーリスたちは資金難によりセントラルワシントン大学に移ることになりましたが、どこかに連れて行かれるとつらい目に会うことを知っている彼らは抵抗したそうです。ソーダやキャンディー、ヨーグルトなどで釣ろうとしても、賢い彼らは疑い深くなるばかりだったそうです。

結局、ルーリスの仲間のモジャには「あなたと私 おうちへ帰る (YOU ME GO HOME)」と嘘をついて連れ出すことになりました。モジャは生まれ育った家に帰れると信じ、目を輝かせて喜んでいたそうです。

ワショーはどうやっても懐柔できず、檻の扉をつかんで抵抗していたそうです。大声を出して脅してもだめだったので、最終的に麻酔銃を持ち出すまでになりました。それを見たワショーは悲鳴をあげ、ルーリスを自分の後ろにかばいながら檻の中に入ったそうです。

とは言うものの、移動の途中、コンビニでアイスを買ってあげるとワショーは「いそいで、いそいで、行こう、行こう (HURRY, HURRY, GO, GO)」と手話をして機嫌をなおしたので、2時間おきにアイスを買ってあげるはめになったのだそうです。現金なところもありますね!

こんなこともあったので、1993年5月にまた新居 (※1) に引っ越さないといけなくなったときには、ボランティアたちはルーリスを始めとするチンパンジーたちをその気にさせるようと一生懸命だったそうです。たとえば、彼らの世話をしていたファウツ夫妻が新居を探索するビデオを見せて、

『見て!ロジャーが新しいおうちにいるよ!ロジャーがベッドを見せるよ。彼は大きなドアの遊び部屋に入った。見て!そこのドア、外に出られるよ!草を見て。走れるよ、登れるよ、遊べるよ。みんな新しいおうちが好きになるよ!私たちはみんな、一緒にいくんだよ!』

と手話でプレゼンしたのだそうです。

この新しい素敵なおうちが最後になればよかったのですが、ワショーと2匹のチンパンジーがここで亡くなり、ルーリスとタトゥだけが残され、さらにどちらかが死ねば残された方は孤独となってしまう事態となりました。そこで2013年8月、カナダの保護施設 (※2) に送られました。保護施設ではボランティアと手話で話 (※3) をしたり、新しい仲間になったチンパンジーと追いかけっこなどして楽しく暮らしているようです。

こんな大変な人生を送ったルーリスですが、ひねくれてしまうことなくいい子に育ったようです。ちょっと移り気だそうですが、遊び好きで愛情深く、すぐにみんなを元気にしてくれる性格で、人間に対してもチンパンジーに対しても社交的なんだそうです。過去に行われていた一般の人々との触れ合いの時間では人を観察するのが好きで、とくに子供が好きだったとか。

このままなにごともなく、保護施設で余生を過ごせればいいですね!

※1 Chimpanzee and Human Communication Institute (CHCI)
※2 Fauna Foundation。動物実験や虐待されたチンパンジー専門の保護施設だそうです。
※3 CBCで手話をする現在のルーリスの姿が見られます。

チンパンジーから言葉を学んだチンパンジー・ルーリス (2/3)

手話をするチンパンジーの真似をして手話を覚えるチンパンジーの例は観察されていたものの、チンパンジーが子供に手話を教えるのか、子供は教わって手話を使えるようになるのかについては不明でした。「プロジェクト・ルーリス」はそれを解明するのが目的でした。

周囲の人間から学ぶことのないよう、ルーリスがいるところでは「誰、何、どこ、どれ、欲しい、手話、名前 (WHO, WHAT, WHERE, WHICH, WANT, SIGN, NAME)」の7つの手話と口頭での英語、そしてジェスチャーのみを使うことが許されました。もし誤ってルーリスの前で他の手話をした場合は記録されましたが、5年3ヶ月のプロジェクトの期間中、そういった事例は40未満だったそうです。

そして、ルーリスが手話をしていることが別個に3人の観察者によって正しく使用されていると確認されるまでは、ルーリスが覚えたとは認められませんでした。そんな中でルーリスが最初に覚えた手話、それは人名だったそうです!

ワショーの記事でもお話したエサ係 (※1) を呼ぶときの、頭の上で手を叩く、後に「人 (PERSON)」の手話になった仕草です。ルーリスはワショーと出会って8日目にこれを覚えました。ワショーの真似をして覚えたそうですが、やっぱり食べ物がからむと早いですね…!

同じく、わりと早い段階で覚えたのが「おいで (COME)」で、これはなんとワショーが自ら教えたのだそうです!

最初の3日間、ワショーは一緒のときにルーリスを振り返って「おいで」と手話し、近づいて手をひっぱって連れてきたそうです。次の5日間は「おいで」と手話して、今度はルーリスに近づくだけ。8日目以降からは「おいで」の後に近づくことはせず、ルーリスが来るのを待つようになったそうです。こうして、ルーリスは「おいで」を学びました。

他にもワショーはお手本を見せてさまざまな手話を教え、たとえば「ブラシ (BRUSH)」と手話をしてヘアブラシでルーリスをブラッシングし、小さなプラスチックの椅子を持ってきて「椅子 / 座る (CHAIR / SIT)」と手話して見せました。

また、手をとって手話の形を教えることもあったようです。たとえば、人間からキャンディーをもらうのを待つ間、ワショーはずっと「食べ物 (FOOD)」と手話をしていましたが、ルーリスはただそれを見ているだけでした。それに気づいたワショーは、手話をやめてルーリスの手を「食べ物」の形にして動かしたそうです。

同じように、人間からガムをもらう際にはルーリスの頬で「ガム」と手話をしていたそうです (※2)。どちらも「ルーリスにもあげて!」というワショーの親心というかやさしさが感じられて、大好きなエピソードです!

こういったワショーの教育の甲斐もあって、15ヶ月目には2語の手話の組み合わせ、「急いで ちょうだい (HURRY GIMME)」「人 おいで (PERSON COME)」などができるようになりました。そして29ヶ月目には1763ヶ月で475年3ヶ月で51の手話の単語を覚えました。1987年10月の時点ではボキャブラリーは70になっていたそうです。

手話以外の面でも、ワショーからさまざまな文化的行動も学びました。たとえばワショーは寝るときには毛布をぐるぐる巻きにし、回りにお気に入りのおもちゃやものを並べた巣を作り、毛布の上またはくるまって寝ていました。ルーリスは最初はそれを見ているだけでしたが、だんだんとおもちゃを手渡ししてお手伝いをするようになり、最終的には自分でも同じような巣を作って寝るようになったそうです。

プロジェクトは5年3ヶ月で、人間がルーリスだけに話しかけないというある意味仲間はずれにしてしまう側面もあるため、終了となりました。残念ながら資金不足もあり、人手不足で観察は1日4時間しかできず、十分に研究できたとは言えなかったようです。

※1 ちなみに、名前はジョージ・キンボール (George Kimball) さんなんですけど、どうでもいいですよね。手話だと彼が見ていないときには気づかれないので、手を叩いて音を出すようになったのだそうです。
※2 ちなみに、頬に当てた二本指を曲げながら手を上下に動かすような感じです (Sign for GUM | ASL Sign Language Video Dictionary) 。

チンパンジーから言葉を学んだチンパンジー・ルーリス (1/3)

世界で初めて人間以外の動物から人間の言葉を学んだ動物としても有名です。養母であるチンパンジーのワショー (Washoe) とその仲間たちから手話を学びました。

ゴリラのココちゃんと何の関係があるんだ!とお思いかもしれませんが、ココちゃんの手話はクレバー・ハンス現象ではない証拠 (※1) として取り上げられたチンパンジーでもあります。関係ないこともないのですよ…!

というわけで以前もお話したように、ワショーは育ての親ガードナー夫妻のもとを離れ、ファウツ夫妻に引き取られてオクラホマの霊長類研究所 (※2) で暮らしていました。ワショーはそこで1976年8月に最初の子供を産みましたが、先天的な心臓疾患でわずか4時間の命でした。

その後、1979年1月にはチンパンジーのアリー (※3) との間にセコイヤ (Sequoyah) という子供をもうけましたが、この子も2ヶ月のとき感染症で入院の後に亡くなりました。

ロジャー・ファウツ (Roger S. Fouts) は、このつらいできごとをワショーに伝えました。

『次の朝には戻らなければならなかった。ワショーはもちろん落ち込んでいて、完全にすっかり孤独で、誰とも手話をしていなかった。それで私は中に入ると、ワショーは目を輝やかせて私のもとにやってきて言った。「赤ちゃん、だっこ、だっこ (Baby, holding, holding)」

それは質問だった。ワショーはつまり「私の赤ちゃんはどこ?」と言っていたのだ。そして私は伝えなければならなかった。私は言った。「彼は死んだ。彼は終わったんだ」

そう言うとワショーの赤ちゃんという手話は、文字どおりひざの上に崩れ落ちた。ワショーの頭も崩れ落ちた。そして部屋のすみに行ってしまい、手話をするのをやめた。』

ファウツたちは何とかするために代わりの赤ちゃんを探し、ヤーキーズ霊長類研究所 (※4) から1978年5月10日生まれの10ヶ月のオスのチンパンジー、ルーリス・ヤーキーズ (※5) をもらい受けました。

1979年3月24日、セコイヤの死の15日後にルーリスはワショーのもとにつれてこられました。

『次の朝、私は中に入って「赤ちゃんだよ」と手話をした。ワショーはすぐに「赤ちゃん、赤ちゃん (Baby, baby)」と手話を始めた。とても興奮し始めて「赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん」と手をたたきながら、立ち上がって、毛を逆立てて、ものすごい興奮だった。

そして、ワショーが「私の赤ちゃん (My baby)」と手話をしたとき、これは困ったことになると分かっていた。ワショーが誤解しているのだというのは分かっていた。

私は外に出てルーリスをつれてきた。10ヶ月のルーリスは私の胸の中にいて、ワショーの囲いのところまで行った。おそらく60センチか90センチ離れたところまで来ると、ワショーはルーリスをじっと見つめた

ワショーはこのときずっと「赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん」と手話をしていたが、ルーリスを見るとワショーは座り込んだ。そして振り向いて「赤ちゃん」と手話をした。

明らかにそれが、ワショーの赤ちゃんではないことを悟ったのだ。それは見知らぬ赤ちゃんだった。』

ファウツはしがみついていたルーリスを残して去り、2匹は1時間ほど隣同士座ってお互いを見ていました。その後、ワショーはやさしく近づいてくすぐりっこや追いかけっこをしようと誘ったりもしましたが、ルーリスは黙って床に座り続け、周りの人を見ていたそうです。

夜になると、ワショーは亡くなった自分の赤ちゃんにしていたように、ルーリスと一緒に寝ようとしましたが、ルーリスは拒否してひとりで寝ていたそうです。ワショーが近づくと、ルーリスはどっかに行ってしまうので、最終的にワショーは好きにさせてそのまま寝たようです。

朝の4時になるとワショーは起き上がり、二本足でふんぞり返って歩き、手を叩いたり檻を叩いて大きな音を立て、ルーリスに「おいで、赤ちゃん (Come, baby)」と手話をしました。これにルーリスは驚いて目を覚まし、また音に怖がってワショーの腕に飛びついたそうです。

『ワショーは文字どおりルーリスを包み込み、仰向けになって寝た。そしてその瞬間から、彼らは離れられない関係となった。(※6)

その夜から2匹は一緒に眠り、ワショーはお母さんとしてルーリスの面倒を見るようになり、ルーリスもワショーをお母さんとして頼るようになったのだそうです。

そしてこの後、かねてからの計画にしたがい「プロジェクト・ルーリス」が始まりました。周囲の人たちはワショーとルーリスへの手話を制限し、ルーリスがワショーから手話を学ぶかどうかの観察が始まったのです。

※1 手話ゴリラ・ココは本当に会話ができる - その3 クレバー・ハンス現象ではない究極の証拠
※2 あのニム・チンプスキーが生まれた研究所で、テラスの実験後に送り返された研究所でもあります。
※3 Ally。おそらく、ニム・チンプスキーのお兄さんだと思います。年代、手話ができる、暮らしている場所などの特徴が一致していますので。1982年、ニムのように薬物実験に使われたあと、不明な仲介業者に売り飛ばされて以来消息不明となりました。
※4 オランウータンのチャンテックや、口で話すチンパンジーのヴィキが生まれた場所でもあります。
※5 Loulis Yerkes。世話係のルイス (Louis) とリサ (Lisa) をつなげた名前と生まれた研究所の苗字です。
※6 いい話のように語っていますが、そもそもルーリスって実のお母さんから引き離されたんじゃ…。


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