ハーバート・テラスという人 (5/5) - チンパンジーの心を知る男

というわけで、テラスはプロジェクト・ニムで得た否定的な結果から新たな研究を開始しました。

『チンパンジーはとても賢く、考えていることは明らかだった。しかしデカルト (※1) に反して、チンパンジーは言葉なしで考えていたのだ。

私は、言葉なしでの思考を研究することにした。特に、猿たちはどうやって言葉の不在のなかで手順を生み出すのか。』

そして、猿の心の中に深く入り込んで行きました。記憶と想起、論理と推論、主題の概念の理解、思考についての思考などの実験になりました。以前もお話した、わけの分からない「次のステージ」の研究です。

たとえば、猿に賭け事をさせているそうです。猿は負けず嫌いなんだそうです。負けてお菓子をもらいそこねた猿は、カジノで大金をすった人のように放心状態になるんだそうです。他にも人間のように顔をしかめたり、ひっくり返ったり、手で顔をおおったり…って、前にも言いましたが、実験なんだか遊んでるんだか分からないんですけど!

しかし、これで彼らが何を考えているのかが分かるのだそうです。

『これは猿が決められたタスクが理解できるというだけではなく、もっと重要なことは、過去の自分の実績を振り返って、それが正しかったのかどうか決定できるということだ。』

そして、これが何の役に立つのか…と言えば、私たちの心がどのように進化してきたのかを知ることができるそうです。

『認知 (心の働き) を研究したければ、ここから始めることだ。猿たちは、認知がどのように進化したかを理解するために、過去へわれわれ自身の祖先にさかのぼることを可能にする手段だ。認知は化石にならない。骨は役に立たないのだ。』

心の進化を知ることにより、たとえば赤ちゃんが何を考えているかが分かるようになるそうです。そして、赤ちゃんの心がどのように成長するのか、成長に問題があればどう対処すればいいのかが分かるようになるそうです。

以前も少しお話しましたが、自閉症の子供たちの理解と教育にも役立っています。テラスの研究の一部は、彼らに機器を通じて算数を教える方法として使われているそうです。他人と交わるのが難しい彼らにとって、人から直接より学ぶよりは機器を通して学ぶことの方がやさしいのだそうです。

そんなわけで、感情的には受け入れがたい事実につきあたってしまいます。映画の中では本当にニムと心を通わせたのはボブ・インガーソルの方だと描かれていますが、一方でチンパンジーたちが何を考えているのかを一番よく知っているのは、実は現在のテラスだったりするわけです。

これは、現在も続く類人猿の言語論争にとって象徴的です。多くの話せると主張する人たちの類人猿への理解は今でも30年前のままで、話せないと主張する人たちの方がはるかに多くの研究と発見から、類人猿たちの心のうちへの理解を深めています。

ボブはテラスがニムの言語能力を否定したことについてこう言っています。(※2)

『うん、彼が言っていることは、ニムが言葉を持っていないということだ。哲学的には、これはまた別の「人間は何々だから特別だ」という議論のひとつだ。一部の人間たちは、「人間は何々だから動物とは別だ」というヒエラルキーを捨て去ることができない。』

たしかにテラスはチンパンジーは話せないと結論づけましたが、人間と動物を区別するためでしょうか。彼は、はっきりと人間の心の進化を知るために猿の心を調べると言っています。そして、実際に猿の心の研究の成果を人間に適用して役立てています。これはむしろ人間と猿を近い種類の動物だと考えているからではないでしょうか。

そしてテラスの成果に反し、話せると主張する人たちは30年間何の成果も上げていません。ニムが本当に話せたのだとすれば、それを一番必要としているのは次ような人たちです。

『シンデレラ…かわいそう…うん…彼女を継子 (※3)…床をこすって、うん、片付ける…かわいそう、うん…継子…し、姉妹とお母さん…舞踏会。舞踏会、王子 うん、靴…。』

誰もが知っているシンデレラの物語を説明する失語症の患者です。それまで普通に話せていても、卒中などで脳の文法をつかさどる部分、ブローカ野に損傷を受けるとこのようにしか話せなくなります。

人のように文法を生み出すブローカ野を持たないチンパンジーが話せるのだとしたら、本当に必要なのはその研究の成果で彼らを再び話せるようにすることでしょう。しかし30年たっても、そうはなっていません。ときどきテレビに現れて「へー」と思わせるだけです。

というわけで、プロジェクト・ニムに関する映画やテレビ番組、そういったものは十分気をつけて見ましょう。メディアの偏見 (※4) に乗っかって事実にそぐわない主張で正しい研究をつぶしてしまうと、めぐりめぐって私たちの首をしめることになります!それに、彼らのようにチンパンジーのニムとは心を通わせて理解ができると主張しつつ、人間であるテラスの言っていることは理解しようとしないのは、本当に皮肉で滑稽なことですよ!

※1 17世紀のフランスの哲学者デカルトは、動物は思考や感情を表現する言葉を持たないので、心がないと考えていました。
※2 槍玉に挙げていますが、さまざまなインタビューへの彼の回答を見ていると、本当にいい人だと思います。心やさしく頭もよくフレンドリーでハンサムな完璧超人で、テラスとどちらと友達になるか聞かれたら、間違いなくボブを選びます。
※3 ままこ。養子のことです。
※4 当然このブログにも注意ですよ!



ハーバート・テラスという人 (4/5) - 彼自身の主張

『実際の研究を始め、管理し、本を書いた人物として、私はシンガー (訳注: 映画の内容をもとにテラスを批判した哲学者) の読者とマーシュ (訳注: プロジェクト・ニムの監督) の観客に、より客観的に何が真実で虚偽か判断できるように、より詳しく釣り合いの取れたものの見方による利益を得て欲しい。』

映画「プロジェクト・ニム」では笑顔と涙を武器に語る人物の悪行を転嫁され、当時の動物実験の問題を現代の感覚で非難され、バイアスのかかった編集ですっかり悪役となってしまったハーバート・テラス。彼の言うとおり、判断材料となるよう彼の主張をご紹介したいと思います。

まずは、なぜこの実験を始めたのかです。

『1960年代から1970年代の「類人猿言語戦争 (ape language wars)」の間、何人かの心理学者たちは類人猿が簡単な文法的言語を学べるかを断定しようとした。1969年、アレンとベアトリクス・ガードナーは、彼らが育て、表向きはアメリカ手話を教えたとするチンパンジーのワショーが、初めて白鳥を見て「水鳥 (water bird)」のような手話の順序の組み合わせを生み出したと報告した。

興味深いことではあるものの、ガードナーたちの研究は大部分がいくつかの魅惑的な逸話に等しく、厳密に調査した科学的データの収集ではなかった。彼らは「水鳥」が起こった状況だけをとらえていたにすぎないのか。それとも他のたくさんの例、人間の言語の構造への理解の鍵となる言語学的に決定的な形容詞 + 名詞の単語の構築をとらえていたのか。』

すでにご紹介した、類人猿は話すと主張するほとんどの研究者に共通する客観的なデータの欠如ですね。ゴリラのココちゃんもですよ…。実験の経過と結果も、これまでにご紹介したとおりですので省略します。

そして、プロジェクト・ニムのマーシュ監督とそれを見て義憤にかられた観客を代弁するシンガーに対して、おそらく悪役テラスが映画の中では主張を許されなかったことを述べます。

『1979年の11月、私は結果をサイエンス誌で公開した。彼らの信ずるところにおいて、編集者たちはマーシュのプロジェクト・ニムやシンガーのレビューは把握することに失敗したことを理解していたのだ ── 影響が重大な否定的結果はしばしば科学的研究で生じることだが、その価値を減少させることはない。マーシュとシンガーは反対の視点を取る。彼らは、否定的な結果は明白な失敗と等しいと信じているのだ。研究者たちの道徳と動機に、ほとんど邪悪な言外の含みをもって。私はまったく同意できない。

私が30年以上前にサイエンス誌で公開した仮説は、いまだに真実を保持している。そして、どの手話をするチンパンジーであっても、人間と両方が映像のコマの中に入った1時間の無編集のビデオテープを見れば、誰でも確認することができる。ビデオは、訓練者がチンパンジーの手話を促し、そして / または、手話をさせ続ける動機づけに、ちょっとしたご褒美をあげていることを暴露するだろう。いまだにこの結論に疑問を呈したものはいない。

そして、シンガー (と観客) が非難する、なぜ「手話で話せる」ニムを霊長類研究所に送り返してひどい目にあわせたのかについてです。

『この質問には驚かされる。シンガーは実際にはニムが言葉を使えて、だから私が手話をしない類人猿の群れの中に送り返したのだ、と信じているのか。彼を残りの「無学」な個体群の中に混ぜ込んで、彼の才能が発見されることのないようにと。

シンガーは本当に、私がニムに特別なことは何もないと私の発見を間違った解釈をし、そして私が得られたであろう認識を見合わせて、その反対を告知したと思っているのだろうか?』

翻訳が下手で分かりにくくて申し訳ないんですが、「ニムが本当に話せたのなら、そんなすごいことはそう報告してるよ」という意味です。これはすでにお話しているとおり、スキナー派の彼にとっても望ましい結論のはずでした。

この後、前回もお話したように、マーシュは映画を売るためにヒーローのニムと悪役のテラスのストーリーを仕立て上げたのだと指摘し、最後にこう結んでいます。

『チンパンジーの研究と動物の幸福に関心のある全ての人々のために、ニムのプロジェクトの話と彼の貴重な手助けによって学べたことは、科学と事実によるもっと優れたプロフェッショナルな関心によってシンガーとマーシュにより考察、公開されるべきであった。その代わりに、彼らはニムの話を一方で表面的で選択的な分析と、もう一方で表面的で挑発的な映画製作により汚したのだ。』

ハーバート・テラスという人 (3/5) - 冷酷なドリトル先生なのか

私たちは、彼 (ニム) を本来の生き方から引き離してしまったことで、とんでもなく害してしまった…間違っていた、間違って…。』

とは最初の養母ステファニーが、映画「プロジェクト・ニム」の最後で涙ながらに語った反省の言葉。それに対してテラスは、一切涙を見せることなく淡々と反省を語っている言葉が観衆の怒りをかきたてています。

『このプロジェクトの主要な欠陥は、出口戦略 (撤退戦略) を持たなかったことだ。』

ニムが荒れ果て、人を傷つけるようになったときにどうしていいか分からなくなったのだと言っているのです。たしかに冷淡に見えますが、この話、冷静に考えてみるとこうです。

ステファニーはとんでもなく思い出を美化しているようですが、ニムにお酒を飲ませて麻薬を吸わせて、お年頃になったら自分の体を見せて触らせてマスターベーションさせようだなんて、人間の子供はおろか犬猫などのペットにすらしないことです。彼女はニムをおもちゃにしていただけです。この時期の記録もつけられなかったわけですね!

それに困ったテラスは、大学院生だったローラ・アン・ペティットを呼び出して実験の軌道を修正したのです。つまり、ニムをおもちゃにすることをやめさせたわけです。

ニムの幼い頃の思い出を語るときはにこやかに、その後の人生を語るときは涙ながらの姿を見せるステファニーですが、幼いニムを害したのは彼女ですし、養母を代わる原因を作ったのも彼女ですし、「私たちは」とか「本来の生き方から引き離した」とか言っているところからすると、自分が何をやったのかいまだに分かってすらおらず、その涙は反省の姿と言っていいのか分かりません。

ニムの辛い人生に言及せず淡々とプロジェクトの失敗を語るテラスは冷血漢のように映るのかもしれませんが…反省という意味では「どうしていいか分からなくなった」と自分の問題を冷静に考えていると言えます。

そもそもニムを母親から引き裂いてテラスに売ったのは霊長類研究所です。そこでは日常的に行われていたことで、ニムの母親は気の毒に赤ちゃんが生まれると必死で人の目から隠そうとするようにまでなっていました。また、帰ってきたニムを今度は薬剤実験の研究所に売り飛ばしたのも、資金難になった霊長類研究所です。

そこでニムを縛りつけながら薬剤注射を繰り返したのは薬剤実験の研究員たちです。他のチンパンジーたちがニムの手話を真似しだして研究員たちに手話を始めたのが「精神的に苦しめられる瞬間」だと言いますが、ニム以前のチンパンジーたちの悲鳴はどう聞こえていたのでしょうか。

テラスにニムの人生を狂わせた責任を取れと言うのであれば、薬剤研究所の他のチンパンジーたちの人生の責任は注射を繰り返した研究員たちが取るべきなのでしょうか。それともお金のために彼らを売り飛ばした霊長類研究所でしょうか。ニムの辛い人生は、彼をおもちゃにしたステファニーと、動物実験というシステムの悲惨さに帰せられるもので、テラスに全部おっかぶせて済む問題ではありません。

そんな数々の偽善と自己欺瞞を排した上で、テラスのやったことに注目してみると、実験の軌道を修正してニムに手話を教えたあと、ニムの20,000もの発言を記録したのです。研究チームもニムが本当に話している証拠だと大喜びしましたが、詳しい分析をすると「false positive」── 正しいように見えても間違っていたことを発見したのです。

Nim_Chimpsky_Me_Hug_Cat.jpg
Science, 23 Nov. 1979, Vol.206, No.4421, Can an Ape Create a Sentence? より。「私 猫 だっこ」と手話するニム・チンプスキーです。ニムのうれしそうな表情と猫の迷惑そうな顔、そして話し相手の女性の手に注目ですよ!

テラスは、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌において、映画の内容を元にテラスを批判した哲学者ピーター・シンガー (Peter Singer) に対し、こう反論しています。

『マーシュ (プロジェクト・ニムの映画監督) の隠された意図は、ヒーローのニム、そして悪役の私がいることで、よりよく売れる映画を作ることだった。

霊長類学の専門家ではないシンガーもまた、私がマーシュに提供したデータや写真を、マーシュの観点から意図的に選んだのだということを認識していない。』

そして、テラスが実際にニムについてどう思っていたかを語ります。

『ニムは、彼とともに働いた全ての人々の心に触れる、賢くて人をひきつけるチンパンジーだった。私たちは全員、彼が学んでいることを望んでいた。』

余談ですが、大学院生時代にこの実験に関わったロバート・サポルスキーも、ニムの思い出を語って同じことを言っています (※1)

テラスは自分の教え子に手を出していたそうなので女癖が悪いのは事実でしょうが、冷酷なのかどうかは、少なくとも映画「プロジェクト・ニム」からは分からないと思います。でも、せっかく読んでいただいたのにこんなこと言うのも気がひけますが、実際に会ったことすらない私の言うことの方がもっとあてにはならないんですけどね!

※1 念のためですが、別の記事でサポルスキーがテラスを冷血漢と呼んでいるのは、パターソン側の主張を紹介してのことです。
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